福島区「大開町と松下幸之助」事業委員会

大開と松下幸之助さん

大開と松下幸之助さんの年表
1918(大正7)年

創業の家
松下幸之助さんが23歳の時、大阪市北区西野田大開町844(現在の福島区大開2丁目)に借家を借り、妻むめのさん(当時22歳)、義弟の井植歳男さん(のちの三洋電機創業者、当時15歳)の3人で松下電気器具製作所を創立。
最初の商品して「改良アタッチメントプラグ」、続いて「二灯用差込みプラグ」を考案、生産した。
1922(大正11)年

第一次本店・工場
創業の家が手狭になったことから、西野田大開町896番地(現在の大開2丁目)に100坪余りの新工場(第一次本店・工場)を建設した。幸之助さんは終生この地に本籍を置いていた。
当時、大開町内の有力者十一人が、お互いの親睦と友好を図るために「十一会」を作り、合同で貸家経営をしたり、会員それぞれがお金を出し合って、ひと月ないしふた月に1回の割合で懇親会などを行ったりしていた。その後、幸之助さんは業容拡大のため大開町から門真へ本拠を移し、会員としては残ったものの、会合に出席することは殆ど無かったが、この会はのちに「又行会(またいこうかい)」に名称を変更し、その後も存続し、年に2、3回の会合を続けたという。
1925(大正14)年

第二工場(ランプ組立工場)
工場が手狭になったため、大開町4丁目28番地(現在の大開3丁目)にランプ組立工場を建設し、砲弾型自転車ランプなどを製造した。
同年には、地元の人々からの推薦で大阪市の連合区会議員に立候補し、28人中2位で当選する。
1927(昭和2)年 角形ランプを考案「ナショナル」の商標で発売
住友銀行西野田支店(現在の三井住友銀行西野田支店)と取引を開始する。
1929(昭和4)年

第二次本店・工場
昭和初期の不況の中でも発展を続けた松下電気器具製作所は松下電器製作所と改称し、大開町2丁目25番地(現在の大開1丁目)に、第二次本店・工場を竣工した。
社会正義に基づく経営を志向した経営理念、「綱領」と「信条」を制定。
1932(昭和7)年 「第一回創業記念式典」を大阪・堂島の中央電気倶楽部にて挙行。
松下電器の真使命(命知元年)を明示。
ラジオに関する重要特許を買収、一般に無償公開。
1933(昭和8)年 事業部制の創設。
大阪府北河内郡門真村(現在の大阪府門真市)に第三次本店工場を建設、移転。
~ 70年の時が過ぎ ~ 
2003(平成15)年

発足式の様子
松下幸之助さんの偉業を次世代に語り継ぐと共に町おこしを目的とした、福島区「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会が発足。松下幸之助研究部会、記念碑建立準備部会、町おこし部会の3部会で構成される。
松下幸之助さんの事績研究の場として「創業当時の資料を読む会」を開始。(2007年10月まで)
2004(平成16)年

記念碑除幕式
大阪市や松下グループ関係者のご協力を得て、記念碑「松下幸之助創業の地」建立に取り組む。
記念碑建立にあたっては、日本全国から寄せられた9300余名のご厚志をもとに創業の地にふさわしく、且つ、町おこしのシンボルともなる記念碑の建立を目指し、除幕式は松下幸之助さん生誕110年の2004年11月27日の誕生日に執り行う。
松下政経塾より新入塾生(第25期塾生)研修の一環として当地に来訪される。
(以降、毎年5月に継続して来訪されている)
ボラインティアガイドを目的とした「PHPおおひらき松翁会」が発足。
2005(平成17)年

大開公園にて
松下幸之助さんが好物であった「ぜんざい」を振る舞う「第1回ぜんざいパーティー」を開催。(以降、毎年11月23日に継続して実施 。
2006(平成18)年

大開公園にて
福島区の花「野田藤」にちなんだ「第1回ふじまつり」を開催。 (以降、毎年4月に継続して実施)
全国PHP友の会、PHPおおひらき松翁会主催による「松翁忌」~松下幸之助翁を偲ぶ会~を生誕の地・和歌山に続いて創業の地・大開並びにゆかりの地にて開催。 (以降、2015年まで実施)
2009(平成21)年 記念碑「松下幸之助創業の地」建立5周年懇談会をホテル阪神にて開催
2014(平成26)年

中央電気倶楽部にて
記念碑「松下幸之助創業の地」建立10周年懇談会を1932年に「第一回創業記念式典」を挙行した中央電気倶楽部にて開催。

 

大開に残る松下幸之助さんのエピソード

終生本籍をおいた大開への愛着
1933年に門真へ本社を移転した後も、創業期を過ごした大開のことを気にかけ、宿泊先のホテルからも「あちらが大開の方だなぁ。」と感慨深く語られていたそうです。
創業の碑の小話
松下幸之助さんが誕生した、和歌山(紀州)を代表する石といえば、緑泥片岩(りょくでいへいがん)であり、阪南・和歌山から四国一帯にかけ一つに繋がる地層の中にある約1億年前の堆積岩で、緑泥岩を含んでいるため、青緑色に冴え、色があせず、景岩、石碑、石垣に用いられています。  築城の名人・藤堂高虎が造った和歌山城の石垣をはじめ、松下幸之助氏生家跡の松下公園に建立された「松下幸之助君 生誕の地」(湯川秀樹氏 揮毫)などに使用されています。

和歌山周辺では昭和初期から採掘や採石が禁止され、現在は四国の阿波、伊予などのみで販売され、この緑泥片岩の石碑も、伊予西条市周辺の川から採石された自然石で、大きさ、形、色、艶など一番良いものを現地で探し当てました。題字「松下幸之助創業の地」は、松下幸之助氏のご長女、松下幸子様の揮毫により刻み込まれました。

大開と松下幸之助さんの関わり

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