大開と松下幸之助さん
大開と松下幸之助さんの年表 | |
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1918(大正7)年 |
創業の家 最初の商品して「改良アタッチメントプラグ」、続いて「二灯用差込みプラグ」を考案、生産した。 |
1922(大正11)年 |
第一次本店・工場 当時、大開町内の有力者十一人が、お互いの親睦と友好を図るために「十一会」を作り、合同で貸家経営をしたり、会員それぞれがお金を出し合って、ひと月ないしふた月に1回の割合で懇親会などを行ったりしていた。その後、幸之助さんは業容拡大のため大開町から門真へ本拠を移し、会員としては残ったものの、会合に出席することは殆ど無かったが、この会はのちに「又行会(またいこうかい)」に名称を変更し、その後も存続し、年に2、3回の会合を続けたという。 |
1925(大正14)年 |
第二工場(ランプ組立工場) 同年には、地元の人々からの推薦で大阪市の連合区会議員に立候補し、28人中2位で当選する。 |
1927(昭和2)年 | 角形ランプを考案「ナショナル」の商標で発売 住友銀行西野田支店(現在の三井住友銀行西野田支店)と取引を開始する。 |
1929(昭和4)年 |
第二次本店・工場 社会正義に基づく経営を志向した経営理念、「綱領」と「信条」を制定。 |
1932(昭和7)年 | 「第一回創業記念式典」を大阪・堂島の中央電気倶楽部にて挙行。 松下電器の真使命(命知元年)を明示。 ラジオに関する重要特許を買収、一般に無償公開。 |
1933(昭和8)年 | 事業部制の創設。 大阪府北河内郡門真村(現在の大阪府門真市)に第三次本店工場を建設、移転。 |
~ 70年の時が過ぎ ~ | |
2003(平成15)年 |
発足式の様子 松下幸之助さんの事績研究の場として「創業当時の資料を読む会」を開始。(2007年10月まで) |
2004(平成16)年 |
記念碑除幕式 記念碑建立にあたっては、日本全国から寄せられた9300余名のご厚志をもとに創業の地にふさわしく、且つ、町おこしのシンボルともなる記念碑の建立を目指し、除幕式は松下幸之助さん生誕110年の2004年11月27日の誕生日に執り行う。 松下政経塾より新入塾生(第25期塾生)研修の一環として当地に来訪される。 (以降、毎年5月に継続して来訪されている) ボラインティアガイドを目的とした「PHPおおひらき松翁会」が発足。 |
2005(平成17)年 |
大開公園にて |
2006(平成18)年 |
大開公園にて 全国PHP友の会、PHPおおひらき松翁会主催による「松翁忌」~松下幸之助翁を偲ぶ会~を生誕の地・和歌山に続いて創業の地・大開並びにゆかりの地にて開催。 (以降、2015年まで実施) |
2009(平成21)年 | 記念碑「松下幸之助創業の地」建立5周年懇談会をホテル阪神にて開催 |
2014(平成26)年 |
中央電気倶楽部にて |
大開に残る松下幸之助さんのエピソード
- 終生本籍をおいた大開への愛着
- 1933年に門真へ本社を移転した後も、創業期を過ごした大開のことを気にかけ、宿泊先のホテルからも「あちらが大開の方だなぁ。」と感慨深く語られていたそうです。
- 創業の碑の小話
- 松下幸之助さんが誕生した、和歌山(紀州)を代表する石といえば、緑泥片岩(りょくでいへいがん)であり、阪南・和歌山から四国一帯にかけ一つに繋がる地層の中にある約1億年前の堆積岩で、緑泥岩を含んでいるため、青緑色に冴え、色があせず、景岩、石碑、石垣に用いられています。
築城の名人・藤堂高虎が造った和歌山城の石垣をはじめ、松下幸之助氏生家跡の松下公園に建立された「松下幸之助君 生誕の地」(湯川秀樹氏 揮毫)などに使用されています。
和歌山周辺では昭和初期から採掘や採石が禁止され、現在は四国の阿波、伊予などのみで販売され、この緑泥片岩の石碑も、伊予西条市周辺の川から採石された自然石で、大きさ、形、色、艶など一番良いものを現地で探し当てました。題字「松下幸之助創業の地」は、松下幸之助氏のご長女、松下幸子様の揮毫により刻み込まれました。